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YEUX vintage(ユー ヴィンテージ)について

【YEUX vintageコンセプト】
「日常的なシーンと特別なシーンを繋ぐコスチュームジュエリー」
日常に華やかさを添え、特別なドレスアップにも映える。
古いもの、自然の美しさである天然石、世界各国で出会う素材を、
現代に合うアクセサリーとしてアップサイクルしています。

YUEX vintageには「私たちが見ている世界の美しさがこれからもずっと続きますように」という願いが込められています。
晴れの日と日常を繋ぐ。
特別なシーンでつけるようなジュエリーを日常で身に着ける。記憶に残る一日をジュエリーを通して日常と繋げる。
そんな思いを叶えるジュエリーを提案します。

特別な日のドレスアップも日常で着るお洋服たちも、その人自身のスタイルという意味では一貫してるものだと思います。
ただドレスでは会社に行くとかできない。
でもその日に身につけていたアクセサリーを着けてレストラン、デートに行くなど日常を彩ることはできます。
そういったがYEUX vintageのコンセプトです。


【YEUX vintageの名前の由来と美的価値】
「YEUX」とは「瞳」という意味があります。
これは「私たちが見ている世界の美しさがこれからもずっと続きますように」という願いが込められています。
「Vintage」という言葉には、「未来にVintage として残るものを作っていきたい、
世代、時間、時代、性別、国=その人が持っている文化を超えて美しいと思えるものを作りたい」という気持ちが込められています。

人間が美を判断する基準には二つのタイプがあります。一つは人の外見的な好みや、この色が好きとか、個人の好みから判断される美しさ。これは時代や人、国や文化によって変化していく美です。
もう一方は、絶景を見て感動するとか、雪景色をみて心が打たれるとか、時代や人種、年齢や性別関係なく本能的に美しいと感じてしまうもの。
例えばミロのビーナス、古代ピラミッド、パルテノン神殿の黄金比も後者です。視覚的に最も調和が取れて、安定した美観を与えてくれます。

YEUX vintageが生み出すジュエリーは、人の好みに働きかけるデザインではなく、後者の「人間だから本能的に美しい」と思ってしまう。そんな美的価値を与えます。


【SOCIAL CONTRIBUTION】
典型的なオケージョンイメージなどに縛られず、
身に着ける女性の魅力を引き出し、背中を押して自信を与えるアクセサリーを作ることがブランドの大きなミッションの一つです。
自由にジュエリーを身にまとう。自分を表現し自身に包まれる。
YEUX vintageのジュエリーはそんなメッセージを持っています。
これは、デザイナー本人が人生で体験した
「世の中から提案される価値観への違和感を覆して、自分の価値観にぴったりと合うデザインをまといたい」
という気持ちから生まれるものです。
下着やブライダルなど、「典型」的な市場のイメージがあるもの。
それを自分に重ねても、うまく重ならず常識を着せられるような感覚。
そうではなく、自分だからこそ、似合うもの。
自分の価値観に、本当に合うもの。YEUXだから、「典型」に選択肢を制限されずに自分らしく世界を広げていける。
自己の啓発心と、自信を纏うことで。


【Dream in future】
YEUX vintageとして掲げる将来の夢をこちらに記載します。
これは、2023年10月頃から、デザイナーが「どうしたらいいかわからない夢」として語り始めた夢です。
本当は2013年に初めてインドに行った時から持っている夢ですが、口にすることはありませんでした。
それは、「インドで学校に行ける子供が増えるもの作り」をすることです。
インドの工芸が好きだから、インドの工芸で自分のブランドのデザインを作りたいと夢見ています。
インドの教育格差って本当にものすごくて、なんか大学に行く人もいて、英語とプログラミングを何か勉強して日本はじめ先進国と同様の生活をしている人がいる反面、
多分それって1億人中数十人の世界で、
街中では家族揃って家族全員でホームレスとして生活している方々や、
都市から電車やバスを乗り継いでいくような田舎の村に生まれると生活が自給自足に近かったり、
親も学校行ったことないから子供にも学校に行かせるっていう感覚がなくその生活が続いていく現実があります。
私の祖母は洋裁工房を営んでいたので、ファッションというものが生まれたときからずっと身近にありました。
名古屋学芸大学でファッション造形学科に進み、何の疑いもなく、ファッション業界で働いた私にとって、
素晴らしい工芸を持っている国に住む人々が産業の反動で不利益を被る環境で生活しなくてはならなかったり、
ファッションの産業を支える生産の現場環境が悪く目や、手を悪くして作り手としてではなく、
時には働き手としての能力が制限されてしまう現実を目の当たりにしたときに苦しみは、
言葉にすることができません。
自分がインドで作る製品がもしその土地に、小さくても仕事を供給させてもらうっていうことに繋がったら、
子供を学校に行かせられる親が増えるかもしれないという希望持っています。

2014年に2度目のインド渡航で1か月インドを旅した時、
旅の終盤にムンバイからボートに乗って「エレファントアイランド」という遺跡の島に行きました。
その船の中で、英語で話しかけてきた中学生くらいの男の子がいました。
お互い限られた英語でもっと話したいと感じていた気がします。
「What’s your dream?」と聞くと、彼は「I want to be a pilot」と答え、
インドの観光地に蔓延る格差と目を向けるのも救えない事実も、手を差し伸べることすら苦しい現実にずいぶんと心が重くなっていた私の心に、
「夢を持ち生きる少年」と出会い注がれた光は衝撃的なほど強烈で、
次の言葉を言えなくなるほど、必死で、涙を堪えました。

「インドで学校に行ける子供が増えるもの作り」がしたいと願うことをどのように形にしていくか、
少しずつ時間をかけて具体的にしていきます。


Kana Takahashi Zattelman